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仙台高等裁判所秋田支部 昭和26年(ナ)10号 判決

原告 石岡勇次郎 外六名

被告 青森県選挙管理委員会

一、主  文

原告等の請求はいずれもこれを棄する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

二、事  実

原告等訴訟代理人は、「被告が昭和二十六年九月十九日附で為した青森県西津軽郡赤石村議会議員一般選挙における原告等その他の当選の効力に関する裁決中原告等の当選を無効とした部分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、(一)原告等は昭和二十六年四月二十三日執行された前記赤石村議会議員一般選挙における当選者であるが、同年四月二十九日訴外三上寅之助、同石岡光雄、同工藤慶助の三名は訴外山下厳外十四名の有権者を代表して同村選挙管理委員会に対し右選挙につき異議申立を為し、ついで同年五月十五日追加申立を為し、同委員会が同年五月二十五日これを棄却したのを不服として同年六月七日被告に対し訴願を提起したところ、被告は同年九月十九日同選挙において投票した世永保、世永ツマ、加納一男、加納ムラ、岩本清、世永ふじえ、寺沢ソメ、兼平きみえ、佐藤末吉、工藤とし、岩滝甚作及び工藤俊夫の十二名は該選挙当時前記赤石村に住所を有しなかつた者であるから、右者等の投票はいずれも無効であり、従つて原告石岡勇次郎の得票七十五票、原告内山義之の得票七十三票、原告橋本谷五郎の得票七十四票、原告石岡勇三の得票七十五票、原告大谷潔の得票七十三票、原告石岡直吉の得票七十票、原告太田直次郎の得票六十九票からそれぞれ右潜在無効投票十二票を控除した原告等の各有効得票はいずれも首位落選者清野鈴次郎の得票六十六票よりも少数となり、原告等の当選に異動を生ずる虞があるから原告等の当選はいずれも無効であるとなし、右選挙における当選の効力に関する前記赤石村選挙管理委員会の決定を取消し、原告等の当選を無効とするとの裁決を為し、同年九月二十一日その旨告示を為した。しかしながら、

(1)  世永保は鉄道職員で昭和二十五年十二月上旬前記赤石村から青森県三戸郡上長苗代村尻内駅に転勤したが同人は転勤先に主食等の配給につき正規の転入手続(以下単に転入手続と略称する)も為さず、休日、休暇には右赤石村の実家に帰つて農耕に従事し、主食等も実家から転勤先に運んで生活を続けて来た者、同人の妻ツマは常時赤石村に居住して農耕に従事していた者であるばかりでなく、夫婦共に赤石村に本籍を有する者であるから本件選挙当時同人等の生活の本拠は赤石村にあつたといわねばならぬ。

(2)  加納一男、同ムラは昭和二十一年頃外地から引揚げ、右ムラの生家である前記赤石村岩本嘉七方に居住し昭和二十六年一月頃福島県双葉郡富岡町に出稼のため転居した者であつて、生活の本拠を右富岡町に移したのではない。

(3)  岩本清は昭和二十五年十二月下旬まで前記赤石村役場書記として勤務していた者で、昭和二十六年一月頃前記加納一男と共に前記富岡町に出稼人夫として赴き同地に滞留して居るに過ぎない。これまた生活の本拠を同地に移したのではない。

(4)  世永ふじえは、その夫世永義光が昭和二十五年十月上旬青森県西津軽郡鰺ケ沢保線区鳴沢線路班に勤務を命ぜられたが、前記赤石村の生家の都合上夫と共にその転勤先に転住することができなかつたため、夫だけを右新任地に赴かしめ、自分は前記赤石村の生家に残つて農耕に従事し、時々食糧運搬旁々慰労の意味で夫の勤務先に通うのみであつたから、その本件選挙当時における同人の生活の本拠は前記赤石村にあつたといわねばならぬ。

(5)  寺沢ソメは、昭和二十四年頃夫中原隆と離婚し、その同人と事実上の夫婦関係を続けていた者であるが、昭和二十六年四月一日右隆が青森県西津郡鰺ケ沢町自治警察署に勤務を命ぜられ同地に転住するに至つた後も子供と共に前記赤石村に居住を続けていたのであつて、その本件選挙当時における生活の本拠は依然として右赤石村にあつたのである。

(6)  兼平きみえは、本件選挙当時婚姻を為して他に転出した事実なく、従来通り前記赤石村の実家に住所を有していた者である。

(7)  佐藤末吉は、昭和二十六年三月二十九日同県同郡鰺ケ沢町本町五十一番地二号花田つまと婚姻した事実はあるが、本件選挙当時はなお引続き前記赤石村の生家に居住していた者である。

(8)  工藤としは、同年四月十六日同県同郡森田村大字床舞葛西直太郎の弟葛西久雄と婚姻したが、本件選挙当時はなお引続き前記赤石村の生家に居住していた者である。

(9)  岩滝甚作は、同年一月中旬頃以降弘前市新寺町五十六番地後藤慶太郎方に寄寓したけれども、これは当時前記赤石村の同人の居住家屋が流失したので一時前記後藤方に寄寓していたに過ぎない。本件選挙当時その家財道具はなお前記赤石村においてあつたのである。同人の意思よりするも弘前市に住所を移転したとは認められない。

(10)  工藤信夫は本件選挙当時正規の転出手続も為さず依然として前記赤石村に住所を有していた者である。

以上の次第であるから、右十二名の投票はいずれも有効であるのにも拘らず、被告がこれを無効と裁定したのは失当である。加之(二)仮りに右十二名の投票が無効であるとしても右無効投票は何人に投票されたか全然判明せぬのであるから、独り当選者のみならず落選者に対する投票からも控除すべきであるのに、被告は当選者の得票からは控除しながら落選者の投票からはこれを控除しないでこれを比較し、原告等の有効投票数を首位落選者のそれよりも少数なりと断じ、これに立脚して原告等の当選を無効と裁定したのは失当であると述べ、なお原告の主張に反する被告の主張はすべてこれを否認すると附陳した。(立証省略)

被告指定代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め答弁として、原告主張の(一)の事実中その主張の十二名の住所の所在に関する部分を除くその余の点はこれを争わない。然し

(1)  世永保は昭和二十二年三月二十二日原告主張の尻内駅構内に勤務し、当初は尻内鉄道職員寮に入所したが昭和二十五年十一月二十三日同村大字尻内赤坂亀吉方を借受け、爾後同所に妻ツマ及び子と共に居住している者である。世永保はその職務の性質と距離の関係上赤石村から通勤することはできぬ状態にあつたのであつて同人夫妻は数年前から赤石村に住所はなかつたものである。同人に対し赤石村において村民税を賦課した事実はあるが、それは同人が本件選挙に際し選挙権がないと決定された後これを有権者の如く仕做さんために作為されたものである。

(2)  加納一男、加納ムラは昭和二十一年三月以来原告主張の岩本嘉七方に同人と同居していたが、昭和二十六年一月頃福島県富岡町に転住して林産業に従事し、同年同月六日転入手続を為し同年同月十三日寄留届出手続をも了し、同人等の長女加奈は同年一月十六日以降同町立小学校に在学し、同町において同年度の町民税も賦課され、同年九月十五日現在で調製された同町基本選挙人名簿にも登載されている者で単なる出稼人ではない。

(3)  岩本清は昭和二十五年十二月下旬まで前記赤石村役場書記として勤務中のところ退職の上前記加納一男、同ムラと共に右赤石村を引揚げて前記富岡村に転住し、加納一男方に同居し同人の帳場として同人の林産事業を援助している者である。原告主張の如く単なる出稼人夫ではない。

(4)  世永ふじえは夫世永義光が昭和二十五年十二月上旬原告主張の鳴沢線路班に勤務を命ぜられ、その頃から青森県西津軽郡鳴沢村大字北浮田字外馬屋鉄道公舎に夫及び子供三人と共に居住している者である。

(5)  寺沢ソメは昭和二十一年十一月同県同郡鰺ケ沢町中原嘉多志と婚姻を為し子まで儲けたが、その後病気の為離婚して実家に復帰していた。その後昭和二十六年一月中旬復縁の話が纏つて再び婚姻を為し戸籍上の届出手続を了した上、同年同月二十二日夫嘉多志が同郡同町自治警察署の小使に採用せられ、同署内に居住することになるや同日以後夫及び子供と共に同所に転住した者である。

(6)  兼平きみえは昭和二十五年十一月二十日同県同郡越水村大字下福原字山ノ井菊地仁一と婚姻し、爾後同所において同人と同居している者である。

(7)  佐藤末吉は昭和二十六年一月二十八日原告主張の花田つまと事実上の婚姻を為し、同年三月二十九日戸籍上の婚姻届出手続を了し、同年四月一日同県同郡鰺ケ沢町中学校小使に採用された後は同町内において妻と共に居住している者である。

(8)  工藤としは同年四月三日原告主張の葛西久雄と事実上の婚姻を為し爾後同人方に同人と同居し、同年四月十六日戸籍上の婚姻届出手続を了した者である。

(9)  岩滝甚作は前記赤石村大字大和田部落に居住し乞食同様の生活をしている者で一定の職業もなく、諸所を浮浪していた者であるが、昭和二十六年一月十八日弘前市に転出し原告主張の後藤慶太郎方に居住し正規の転入手続を了し、同市において同年二月から同年八月迄生活保護法による生活扶助を受けていた者である。

(10)  工藤信夫は昭和二十一年十月頃から同県西津軽郡舞戸村に居住し、昭和二十五年七月二十一日同郡木造町に転住し、昭和二十六年二月一日その勤務先青森県購買農業協同組合連合会西郡支部を辞職し、その翌二月二日から同年四月下旬まで同郡木造町字種取小笠原サト方に居住し、その後現住所である同郡柏村の妻の実家に転住した者である。同人は数年前から前記赤石村に住所を有して居ない。

なお原告は右者中前記赤石村からの転出手続を完了していない点を捉えて依然として赤石村に住所があると主張しているが、転出手続の懈怠は青森県内農村地方の通弊でこの事あるの故を以つて住所の移転がないと断ずることは失当である。原告主張事実中の(二)の点につき被告は昭和二十四年十月十一日最高裁判所判例に従つて本件の裁決を為したものであるこれと異る見解に立つ原告の主張は理由がないと述べた。(立証省略)

三、理  由

原告等が昭和二十六年四月二十三日執行された青森県西津軽郡赤石村々議会議員一般選挙に於ける当選者であること、同年四月二十九日訴外三上寅之助外二名が同村選挙管理委員会に対し右選挙につき異議申立を為したところ同委員会は同年五月二十三日これに対し棄却の決定を為したこと、同訴外人等は同年六月七日被告に対し右決定を不服として訴願を提起したところ被告は同年九月十九日原告主張の理由により右決定を取消し、原告等の当選を無効とするとの裁決を為し、同年九月二十一日その旨の告示を為したことはいずれも当事者間に争がない。原告等は被告が右選挙当時右赤石村に住所を有しなかつたと裁定した世永保外十一名は、いずれもその当時右赤石村に生活の本拠たる住所を有し、同村内に於ける選挙権を有していたものであると主張し、被告はこれを否認し被告の裁定はあくまでも正当であると抗争するので審案するに、

(1)  世永保及び世永ツマが夫婦であること、世永保が鉄道職員で本件選挙当時青森県三戸郡上長苗代村尻内駅に勤務していたことは当事者間に争のないところであつて、成立に争のない乙第二号証、当裁判所において真正の成立を認める乙第一号証、証人世永保、同世永ツマ、同世永勝元の証言を総合すると、世永保は昭和二十二年三月居村赤石駅から前記尻内駅に転勤後、昭和二十三年十一月二十九日前記ツマと婚姻を為し爾来前記尻内駅附近の赤坂ハツ方その他に間借して居住し現在に至つて居り、正規の転人手続は未了の儘であるが、前記赤石村に置いてある箪笥長持の如きを除き、夜具布団戸棚鍋釜等を携へて前記場所に転住したものであつて現在でも月額(税込)七千二百円の収入を得て居るに過ぎず、生計の維持必ずしも容易でないため前記赤石村の生家から食糧を運んで生活を続けていること、右尻内と赤石村との距離は汽車で半日行程であること、従つて保は農繁期その他休日を利用して時折前記赤石村の実家に帰り農耕の手伝を為すことはあるが、原則として右勤務先で生活を為して居ること、右ツマは前記の如き生活の実情から毎年秋頃から翌年春頃までは原則として夫の許にあり、その間数回食糧運搬その他の為実家に帰るのを例とし、其の他の期間は右赤石村の生家にあつて農耕の手伝を為し、時折夫保の衣類の洗濯その他身の廻りの世話をすべく夫の許に赴くのを常としていることが認められ、以上の客観的事実からすれば右保及びツマの生活の本拠は被告裁定の如く前記上長苗代村にあつて赤石村にはないものと認めるのが相当である。甲第一、二号証は右認定の妨げとならない。原告が強調する前記転人手続未了の事実は実質的に生活の本拠が何処にあるかの認定に決定的な影響あるものでなく、右保夫婦が将来は赤石村に永住する意向であることが右保の証言の如く真実であるとしてもかかる主観的な事実によつては本件選挙当時に於ける同人等の生活の本拠の所在に関する認定を左右することはできないものである。

(2)  加納一男、同ムラが夫婦であること、同人等が昭和二十一年三月以来赤石村岩本嘉七方に居住していたが、昭和二十六年一月頃から福島県下に居住していることは当事者間に争がない。而して成立に争のない乙第三号証、第五号証の一、二、三、当裁判所において真正の成立を認める乙第五号証の四を総合すれば、同人等は同年一月福島県双葉郡富岡町に正規の転入手続を了し、同地において主食の配給を受け林産業に従事していること、同人等の長女加奈は同年一月同町立小学校第三学年に転入学し目下在学中であることが認められるのであつて、原告の立証によつて右認定を覆すべくもない。而して右認定によれば同人等の本件選挙当時の生活の本拠は右富岡町にあつて赤石村にはなかつたと認めるのが相当である。証人工藤光男の証言中右に抵触する部分は措信し難い。

(3)  岩本清が昭和二十五年十二月下旬まで赤石村に居住し、同村役場書記として勤務していた者であること、昭和二十六年一月頃から前記加納一男と共に福島県下に転居したものであることは当事者間に争がない。而して成立に争のない乙第三、四号証、第五号証の一、二、三、当裁判所において真正の成立を認める乙第五号証の四、証人岩本浩の証言によれば岩本清は前記加納一男等と共に林産業に従事すべく同年一月前記役場書記を辞し夜具その他衣類を携帯して前記富岡町に転居し、正規の転入手続を了し同地において主食の配給を受けて今日に至つている者であること、爾来同年二月中に一度居村赤石村に在る実父の許に帰来し一週間位滞在しただけで前記富岡町に赴き、その後今日まで赤石村に帰来した形跡のないこと、右富岡町え転住後実父とは全く経済的にも独立し、今日まで実父より生活費の補助も受けて居ないことが認められる。証人工藤光男の証言中右認定に反する部分は措信し難い。

(4)  世永ふじえが世永義光の妻であること、義光が昭和二十五年中前記鰺ケ沢保線区鳴沢線路班に勤務を命ぜられ、同地に赴任したことは当事者間に争がない。而して成立に争のない乙第六号証の二、四、当裁判所において真正の成立を認める乙第六号証の一、三、証人世永義光の証言によれば右義光は昭和二十五年十一月赤石村の実家から妻子と共に鳴沢村に転住して今日に至つている者であるが、正規の転入手続を為さず赤石村の実家から主食の供与を受けている関係上、農繁期に妻ふじえを農耕の手伝のため赤石村の実家に赴かしめ、その他の時期には食糧運搬の為屡々右実家に帰るのを例としているだけで同人の生活は夫義光の許を中心として営まれていることが認められる。証人工藤光男の証言は右認定の妨とならない。

(5)  成立に争のない乙第七号証の一、二、三及び証人寺沢清助、同工藤光男の証言によれば寺沢ソメは昭和二十一年中、中原嘉多志と婚姻を為し二子を挙げたが、その後離婚して赤石村の実家に復帰し、更に昭和二十六年二月復縁し、婚姻届出手続を了して当時夫嘉多志の勤務先鰺ケ沢町に赴き正式に転入手続を了して夫婦同棲したが、夫婦の仲兎角円満を欠き、同年三月中に協議の上離婚することとなり、右嘉多志との夫婦関係を断念し、嫁入道具等を携えて赤石村の実家に復帰し正式に転入手続を了し、その後事実上嘉多志との夫婦関係を断絶し、同年十月戸籍上の離婚届出手続を為した事実を認めることができるのであつて、右の事実関係からすれば本件選挙当時右寺沢ソメの生活の本拠は赤石村に在つたと謂わねばならぬ。

(6)  成立に争のない乙第八号証の一、二及び当裁判所において真正の成立を認める同号証の三を綜合すると、兼平きみえは昭和二十五年十一月二十日青森県西津軽郡越水村大字下福原字山の井菊地仁一と事実上の婚姻を為し爾来同所に於て夫と同棲していたが、本件選挙当時病気治療の為夫及び姑の諒解の下に一時赤石村にある実家に仮寓していた者であることが認められるので、本件選挙当時の同人の生活の本拠は前記越水村にあつて赤石村にはなかつたと断ぜざるを得ない。本件選挙当時右婚姻につき戸籍上の手続が未了であり、且つ正規の転入手続も未済であつた事実が前記証拠により認められるがかかる事実は右認定の妨とならない。証人工藤光男の証言は右認定の妨げとならない。

(7)  成立に争のない乙第九号証の一、二によれば佐藤末吉は同年三月二十九日同県同郡鰺ケ沢町本町五十二番地二号花田つまと婚姻しその旨の届出を了したこと、同年四月鰺ケ沢中学校使丁を命ぜられ爾来右つま方において同人と同居している事実が認められる。右認定を覆すに足る反証一も存しないので本件選挙当時の同人の生活の本拠が赤石村にあつたとなすことはできない。

(8)  成立に争のない乙第十号証の一、二によれば工藤としは昭和二十六年四月十六日同県同郡森田村床舞字豊原二十三番地葛西久雄と婚姻し、その旨の届出を了したことが認められるので何等の反証のない本件においては右工藤としは右婚姻と同時に夫と共にその前記住所において同棲を始めたものと認むるを相当とすべく、従つて本件選挙当時に於ける右工藤としの生活の本拠は赤石村にはなかつたと云わねばならぬ。

(9)  岩滝甚作が同年一月中旬頃以降少くとも本件選挙当時まで弘前市新寺町後藤慶太郎方に寄寓していたことは当事者間に争がない。而して成立に争のない乙第十一号証の二、三、四、当裁判所において真正の成立を認める同号証の一、五、六によれば同人は赤石村の海岸近くに所有していた同人の小屋が昭和二十五年十月暴風の為流失したので同地を引払つて前記後藤慶太郎方に身を寄せ、同年二月一日から同年八月三十一日まで同市において生活保護法による保護を受けて居た事実が認められる。証人戸沼英一の証言は前記採用各証拠に照し措信し難い。他に何等の反証がないので本件選挙当時の右甚作の生活の本拠は弘前市にあつたものと云わねばならない。

(10)  成立に争のない乙第十二号証の一、二、三、四によれば工藤信夫は被告主張の如く本件選挙当時同県同郡木造町字種取小笠原サト方に居住していたことが認められる証人兼平仁三郎の証言によつては右認定を左右するに足りない。他に何等の反証がないので本件選挙当時における同人の生活の本拠は赤石村にはなかつたと断ぜざるを得ない。

以上の次第であつて本件選挙当時右十二名の内寺沢ソメは赤石村に住所を有して居たが、他の十一名はいずれも赤石村に住所がなかつたのであるから寺沢ソメの投票は有効であるが、他の十一名の投票はいずれも潜在無効投票である。然らば当事者間に争のない原告石岡勇次郎等の得票から夫々右無効投票を差引けば、原告石岡勇次郎の得票は六十四票、原告内山義之のそれは六十二票、原告橋本谷五郎の夫れは六十三票、原告石岡勇三のそれは六十四票、原告大谷潔のそれは六十二票、原告石岡直吉のそれは五十九票、原告太田直次郎のそれは五十八票となつていずれも当事者間に争のない首位落選者清野鈴次郎の得票六十六票よりも少数となり、原告等の当選に異動を生ずる虞があるから原告等の当選はいずれも無効である。さればこれと同趣旨に帰する被告の裁決は相当であつて、その取消を求める原告等の請求は失当である。原告等は右の如き潜在無効投票があるとしてもこれを当選者の得票のみから控除し落選者の得票から控除することなくしてこれを比較することにより当選の効力を云為するのは失当であると主張するけれども、現行法は無記名投票制度を採用し投票の秘密を確保する方針を堅持しているのであつて、その結果として潜在無効投票の行衛を追及することは絶対に避止さるべきものとなす法意なることは法規全体を虚心坦懐に通読すれば容易にこれを看取し得べく、その当然の帰結としてその潜在無効投票が得票者中の何人に投ぜられたとしても、その当選の効力に絶対に異動を生ずる可能性のない者の当選のみを有効となす趣旨と解すべく、従つて当選者に最も不利な場合を想定し、これを首位落選者の得票(無効投票の有無を考慮しないでの)と比較した結果、なお首位落選者よりも得票数の多い者のみ当選を有効とし、その少い者の当選を無効とする外ないのであるからこれと異る見地に立つ原告等の主張は採用することができない。よつて原告等の本訴請求を棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 豊川博雅 村上武 浜辺信義)

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